千代滝・新滝の違いとは?
会津東山温泉にある2つの旅館、千代滝と新滝。この2つの旅館の違いってなんでしょう?千代滝は温泉街の高台に位置しており、最上階の展望露天風呂から会津盆地を一望できる旅館。新滝は温泉街の中心に位置しており、川沿いに面した細長いつくりの旅館で千代滝と新滝は徒歩で約3分の距離に離れて位置しているんです。
会津東山温泉 くつろぎ宿 千代滝
千代滝の最上階のお風呂からは、城下町が一望できる絶景のロケーション。
会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝
新滝のお風呂はすべて源泉自慢の掛け流しで昔ながらの湯治場を現代風にアレンジしたヒバ造りのわたり湯。日本温泉遺産を守る会により「温泉遺産認定」受けた猿の湯。千年の湯は江戸時代から上質な源泉が湧き続ける自噴の天然岩風呂とせせらぎを聞きながら季節のうつろいを五感で感じられる露天風呂があり夜間は貸切利用も可能です。
実際に宿泊してみた!
東北の西の玄関口である会津若松は、歴史的な意味で人気の観光地である幾つものスポットがあるところとして人気を博しています。
その奥座敷と言われるのが東山温泉です。
東北旅行の時に、東山温泉の「千代滝」に宿泊し、更に、近くに在る「新滝旅館」は姉妹館なので併せてご紹介いたします。
千代滝旅館は温泉街の高台にあり会津盆地が一望でき、そして、こちらの温泉浴場の目玉も屋上の展望風呂でした。
未だ時間に余裕があったので、姉妹館の「新滝」の入浴も楽しむことにしました。
こちらは本館(千代滝)と違って、温泉街の中にあり、湯の川の洒落た造りの先心橋を渡った先にありました。
何でも歴史ある新滝旅館は、今年(2010年)リニューアルされたばかりといいました。
廊下の入り口に早速「千年の湯」というのがあったが、その奥の方にもあるらしく、先ずそちらの浴槽へ向かった。
温泉浴場は千年の湯、わたり湯、殿猿の湯(女性は姫猿の湯)そしてやや小さめながら露天風呂で妙な名前の“月取り猿の湯”というのがありました。
モダンな殿猿の湯と木造りで湯治場の古風な浴槽との対比がよく、何れも広い窓によって表現されており開放感が良かったです。
温泉は無味無臭で透明感があり、肌触りはさらりとして、小生にとっては温めの適温で、のんびりと入れるのがいい。
豊富な湯量の自家自噴泉は、日本温泉遺産を守る会により「温泉遺産」の認定を受けていて、古くは川の脇の素朴な湯治場として会津藩士に親しまれたとい、土方歳三も入ったと言われています。
お泊りは千代滝旅館でしたが、新滝も温泉浴場の数が多く、お勧めですね。
ところで会津若松のことですが、観光スポットと言われる鶴ヶ城や白虎隊記念碑など、悲しい敗戦の記念碑であり、戊辰戦争に破れた会津藩は藩ごと本州北端の極寒の地・陸奥に配流となるのです。
江戸末期において会津藩は京の都に起こる攘夷運動の騒乱で、京の治安を守護するために出仕する。
その後に発生する京都での戊辰の政変や各地の戦争で苦敗を味わい、会津に戻ることになるが、この後の戦さにも余儀なくされ、戦いは益々激しくなり、遂に、新政府軍は関東から会津にも攻め入ってくるようになります。 そして遂に、会津藩は主城である鶴が城の攻防となるが、新政府軍の勢いは益々激しく、遂にお城は落ちてしまい、会津軍とその藩は降伏してしまうのです。
現在の会津若松は、会津藩の藩祖である保科正之によって開かれたとされ、その保科正之は徳川三代将軍・徳川家光の実弟であり、徹底的に将軍家光を擁護し、幕府の補佐人となった人物であります。
この精神が会津人の士魂となって表れ、藩祖を敬い、藩主を尊び、藩を支え、藩士と睦むという精神が出来上がっていったのです。
勿論、先端の思想には、徳川幕府を支えるという大儀意識も強かったのです
会津の士魂というのは、この大義を徹底して守り通したところにその美的なところがあり、純粋な凄さがあるように思われます。
しかし、客観的に見た場合、会津の士魂は余りに保守的であって、時代の過激に変質したの流れに上では、到底、組する事が出来づ敗者の憂き目を見てしまう。
つまり、時代に合わなくて淘汰されてしまったとする、冷めた見方も出来るのです。
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